グループというもの その1

過去の文章第一弾です。

2011年の年始に書いたものです。

だいぶ過去になってしまいましたが、友人のえみそら♪さんたちのブログに載せるよ~とのことで、自分がしたワクワクした体験を人に伝えようとがんばって書いた覚えがあります。

結局、これは、人生を変えるような(つまり大学院進学の)きっかけになりました。

 

……

《九重エンカウンターグループ体験記》


 12/23-27に大分県の九重という所であった「九重エンカウンターグループ」に参加してきました。


【エンカウンターグループって?】


 まずこの「エンカウンター(出会い)グループ」とは何ぞやということですが、アメリカの心理学者、カール・ロジャーズが、カウンセラーの訓練をきっかけに始めたグループ体験らしいですが、その後、特に「カウンセラーの訓練」に限らず、「人間の心理的成長と対人関係のコミュニケーションの発展」を目指して行われています(たぶん)。あ、「たぶん」というのは、定義としてはそんな感じですが、各々が違うことを目指したり、違う体験をしていいんだというのが、一つの特徴でもあるように思うからです。


具体的にどんなんかというと、メンバーとファシリテーターで10名くらいのグループを作ります。(「ファシリテーター」というのは「促進者」という意味で、臨床心理士など何らかのそれ系の専門家がされることが多いようですが、「リーダー」とか「先生」とかいう立場ではなく、メンバーと同じ目の高さで、かつ、(密かに)とっても気や目を配ってる人です。)

そして、人数や形態は色んな場合がありますが、今回の九重の場合は、ファシリテーター2名を含む10名で、畳の部屋で円になって座ります。真ん中には、ミカン、バナナから、さまざまなお菓子、おいしいコーヒーや紅茶などの飲み物がたっぷりあり、自由にそれを飲み食いしながら、「セッション」と呼ばれる時間を共に過ごします。


セッションの時間は、基本的には何をしても自由ですが、まあ、みんなで話したり聴いたりしています


今回は4泊5日で、計11セッション有り、大学院生から、現役で仕事をしている世代、引退したり、自分で仕事をされている方々、など、老若男女様々な参加者から成るグループでした。



 説明というと、ほんと、これくらいなのです。

「なんじゃそれ?」って感じでしょ?



 この経験や良さを説明するのが難しく、いつも(といってもまだ2、3回しか経験してないけど)「心理学のワークシヨップだよ」とざくっと説明していたのですが、「壺買わされるんちゃう?」「どんなことすんの?」「洗脳されるんちゃう?」など、もっともな(!?)ギモンを友人からよくいただき、一度ちゃんと文章にしてみようと思いたったわけです。


【グループの雰囲気・得るもの】


 ほとんど初対面の人たちと円になり、さて…となると、シーンとしたり、雑談したりします。(今回は、世界の歴史から排泄物についてまで、まあ~話題が豊富でした。)

そんな所から始まるのですが、色々な話をしたり、それに共感やフィードバックをもらったり、人の話をじっくり聴いたり、自分や人の考えていることに思いをめぐらしたりしているうちに、徐々に関係性が深まってくるのか、だんだん、普段はあまり話せないような、自分の大事な、深い話が自分から自然に出て来たり、感覚がやわらかくなるのか、人の話を聴いて、ぽろぽろと泣いてしまったり…と色んなことがおこります。


最後には、そのグループの一人一人が、大事な「かけがえのない存在」としてそこに居ることを実感し、つまり、自分の「かけがえのなさ」も実感したりします(私の感想ですが)。

それとか、ファシリテーターの人たちは、いわゆる「エラい先生」だったり、メンバーも良く聞いてみると何がしかのエラいさんだったりすることもあるのですが、そういう上下関係のない、本当に「人間同士のヨコの関係」として、その場を体験することは、自分が「エラい立場」でも「エラくない立場」でも、本当に大事なことを確認できる場かもしれないなあと思います。


今まで私の経験したグループは、いずれも割合に「平和な」雰囲気だったなあと思いますが、進行していく中で、否定的な感情がガンガンと出たり、何かターゲットとなってしまう人が出てきたり(スケープゴート現象というようです)、色々おこることもあるようです。


ですが、「基本的には何をしてもいい」ので、しんどくなったらグループを離れても良いし、そのグループの中で爆発しても良いし、ファシリテーターに相談しても良いし、「自分の心の声に従ってみる」のが良しとされていると思います。そうこうしているうちに、結局良い方向に向かっていくような印象があります。もしかしたら、ファシリさんが見えない努力をされてるのかもしれませんが…。


また、同じ場を共有しているとはいえ、年齢・性別・境遇・性格など、様々ですので、結果的に「ここがよかった!」と言えるものが同じではありません。


私の印象では、

 ・自分の問題に新たな視点をもらい楽になった

 ・自分の問題が、色々と語るうちに明らかになった

 ・自分のかけがえなさが実感できた

 ・人と、心から交流する体験ができた

 ・自分の問題に共感してもらい孤独感がぬぐえた

 ・ファシリテーターの勉強になった

 ・自分をゆっくりみつめられた


 など、それぞれ自分の内なるプロセスや結果は色々です。

その「色々」さが尊重されているところがいいなあと思います。

「○○を得ました!」「自分がこのように成長しました!」なんて確固としたものがなくてもいいということです。

グループ単位でも、セッションが進んでいく上で、盛り上がって仲良くなるグループや、バラバラな感じでいくグループなど様々ですが、どんなんでもOKということです。

みんなで仲良く盛り上がればいいってものでもなく、バラバラで悪いというわけでもなく、盛り上がってるように見えても、無理してる人がいないか気をつけないといけないし、バラバラに見えてもみんなが居心地よければいいしということかと思います。

私のグループのファシリテーターだった、M先生がそのようなことを何度もおっしゃってました。(ああ、このM先生だけは、どうしても「先生」とつけたくなってしまう…。本当に、エラいのにエラそうではない、すごい先生です。)セッションを重ねるごとに、少しずつ関係性が深まっていき、同じような話題でも、日程の最初の方と最後の方では深まり方が違ってきます。普段の人間関係にもそういうことがありますが、それを短期間で体験するような感じです。


【九重エンカウンターグループのこと 1.九重に至るまでの私】


 九重は、この「エンカウンターグループ」のメッカとも言われており(約40年続けられています)、計4グループ、ファシリテーター9名、総勢43名の大所帯で5日間を過ごしました。私は、キャンセル待ちで、どうもホントにギリギリに入れたようで、もう来年の予約をしている人もたくさん居ます(来年が最後なのです)。なので、リピーターの方が多く、新参者の私としては、どんな感じだろう…とおそるおそるの部分もあったのですが、新参者を排除する感じや、逆に気をつかわれ過ぎる感じは全くなく、普通に一員として過ごすことが出来ました。


あ、そもそも、何故私がこれに参加しようと思ったかということも記しておきます。もともと心理学に興味があり(というか、大学は心理学科卒。あんまし勉強してないけど…汗)、そこから音楽院で音楽療法を学び、その方向に進んだわけですが、音楽療法の臨床経験はそんなに多くなく、近年は、仕事の内容もあり、もっぱら「音楽療法を学びたい人」に興味を持っていたわけです。そんな中で、色んな人と接したり、考えたりしているうちに、いくつかの興味がしぼられてきました。


・音楽療法士の「感性化トレーニング」をどうすれば習得できるのか?

 …音楽療法士の岡崎香奈さんが音楽療法教育における「感性化トレーニング」についての文章を書いておられ、知った言葉なんだけれど、私の解釈としては、「音楽療法士が、知識や技術以前に持っておくことが前提の、対人関係における自分や他人への気づきとその存在の仕方」かととらえています。それって「持って生まれたもの」なのか「学べる」のか。学べるとすれば、どのように学べるのか…?という興味。


・グループダイナミクスをどう学ぶ?

 …音楽療法を学ぶ人たちは、講師からだけではなく、同期生などヨコのつながりで学べることがとても大きく貴重であるなあと感じていました。そんなヨコの関係を意識的に大事に育てる方法はあるのか?それから、音楽療法の中で、クライエントが集団の場合も多く、私としては、その場合の、セラピスト-クライエント関係だけではなく、クライエント-クライエント関係が気になり、それをどう意識するのか?どう学べるのか?という興味。


そんなことを、まあそれほど意識化していたわけではないですが、少し考えていたわけです。とはいえ、結構ぼーっと過ごしていた時期が長いのですが、その中でも、全く別分野の友人の影響で、哲学や心理学関係の本(ごく簡単な)やちょっと小難しげな、今まであまり手にとってなかった本を、少しずつ読んだり話したりして、結構おもしろいやんと、「小難しい本」=「勉強」のおもしろさをちょっとずつ知るようになっていました。


それと平行するように、仕事で、長崎県の離島「小値賀島」に何度か行かせていただきました。ここでは、心理学関係のことは一切関係ないのですが、この島での色んな出会いが、自分をとても後押ししてくれる結果となりました。


そして、2009年、私が音楽院の学生時代(1997年)に、臨床心理学を教えていただいていた先生が、九州の大学に行かれてから、ほとんどお会いすることもなく、どうしてはるかな…と、ふと、ネットで検索してみたのです。その先生は、トライアスロンをされるので、それらの順位のページなどが連なり、苦笑しながら見ていたのですが、その中に乗鞍で行われるエンカウンターグループのHPを見つけました。その先生がファシリテーターをされるということで、名前が載っていました。「エンカウンターグループって何だっけ?」と、昔少し聞いたことがあるだけの言葉を不審気に眺めていたのですが、何となく気になり、案内を熟読するも、やっぱり怪しそうで、閉じ、そのまま何ヶ月か忘れていました。

が、何ヵ月後かに、再度そのページを検索して開いてみました。

その何ヶ月かの間に、母が入院・手術・回復して「もう、これからはやりたいことをやるねん。あんたもな。」という言葉をしみじみ漏らしたこと、ピアノや歌を教えている友人の、中高年の生徒さんの発表会ライブで、心から楽しく音楽でお手伝いをさせてもらった「ギャラ」を、あの人たちに恥じないように有効に使いたい!と思っていたこと、30代最後の年やしな~ということ、小値賀に再度行き、パワーをもらったことなど、様々な「後押し」が重なり、そして、「まあ、よっぽどヘンなとこでも、先生に久しぶりに会いに行くと思えばいいか~」という自分への説明も立ち、エイっとばかり申し込んだのでした。(これまたギリギリセーフだったらしい)


乗鞍に行って、前述のような体験をし、終わってみれば、自分の考えてたことの答えの一つがこれやん!というびっくり、それから、自分や人のことを真剣に考えて話し、聴くという、私がやりたい、やっていることをこんな風にしている場所があるんや!という「水を得た魚のような」うれしさ、「ここに音楽があれば…」という、思ってもみなかった音楽療法への気づきなど、39歳にして、目を開かされた大事な経験となりました。


それから、ロジャーズ関係の本を読んだり、ファシリテーターをされる人たちの書いた本を読んだり、沖縄での「スローエンカウンターグループ」に参加したり、日本人間性心理学会の大会に参加してみたり…そして、読んだり聞いたりしてるうちに、一度は行きたいと思うようになっていた「九重エンカウンターグループ」に何とか参加することができたのでした。

                                        (つづく)